July 16, 2010

旅もネットが普及して変わったよね。

久しぶりに一人旅に出ております。

まあ、アフリカとか中東とかで働いていると帰省するだけで結構な旅程だし、乗り継ぎが長時間だったりすると街にも出るので、一人旅っぽいことをすることは多いんですけど、あらためて予定を立てて飛行機も予約して出かけた一人旅は、何年ぶりでしょうかねぇ。あ、2008年末から2009年正月にかけてのタンザニアが最後か。

今回の旅先は、Umkomaasというところです。南アフリカのKwaZulu-Natal州の小さな町。州で一番大きな街・ダーバンから車で小一時間です。メインのアクティビティはスキューバ・ダイブ。なんでも、サメがたくさん見れるんだそうで。

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そういえば、前に一人で旅をしたときは、ネットがここまでユビキタスたじゃなかったですよ。宿をとったら、どっかネットカフェがないか探して歩いた気がする。前回のタンザニアのときも、本土のセレンゲティやンゴロンゴロではケータイからネットにアクセスできたけど、ザンジバルに渡ったら、たしかケータイのパケット通信はできなかった。なんか工事中の建物の一角にあったネットカフェに行った覚えがある。

ところが今回は、MacBook Proを持っての旅行です。まあ、飛行機を降りたらレンタカーを借りて宿まで行く手はずにしてたので、荷物を軽くしなきゃというインセンティブが働かなかったというのもあるんですけどね。で、予想通り、宿には無線LANがあった。なのでこうしてブログも書けてるわけです。

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一人旅でも、特に寂しいという思いをしたことはほとんどないように思う。アジアだと一人旅の旅行者多いので、旅程が合うところまでは一緒に行動したりするし、宿では同宿の人たちと雑談して過ごすし。

でも、一人旅だと自分に向き合う時間が増えるのは事実。寂しくしてる訳じゃなくて、日常から離れて、仕事に追われない時間もたっぶりできて、自分の生活圏ではない世界を外から眺めて、いろんなことを考える。日々の暮らしは、目先のことに追われて(というか、目先のことを言い訳にして)「生活」で隅々まで埋め尽くされがちになるけれど、旅先では一旦日常から離れて「人生」を見つめたりする。

ところが、ネットが普及し始めた当初、あれは2000年前後でしたか、カンボジア旅行中にネットカフェに入ってメールをチェックしたら、仕事関係のメールが入ってて、会社に国際電話をした覚えがある。ICTの普及によってどこでも仕事ができるとか、『SOHO」とかいう言葉がもてはやされたりしてたんですけど、その結果がアンコールワット見物後に会社に電話かよ、って思った。

ICTは日常が旅先に進出することも可能にするんですよね。旅に出て、日常から離れてるはずなのに、なかなか日常から逃げられなくなってる。それでもまあ、今、この宿にはテレビがないので、日常の喧噪は聞こえないですけどね。

かつて一人旅のときは、スケッチブックにいろいろと書き綴った。そのとき見たもの、食べたもの、考えたこと。それは当時の自分を振り返る心象のアルバムのようで、今でも大切に持ってます。それがね、ICTが普及すると(要は旅先でもネットがユビキタスになると)、自分一人しか見れないスケッチブックではなくて、みんなと共有できる空間に書き出すことができる。きれいなものを、みんなに「きれいだよ」って伝えることができる。そう、今、私がこうやってブログを書いているように。

たしかに、それもすばらしいことだと思う。世界旅行をしながらブログを更新したり、エベレストに登りならネットで中継したりして、多くの人を力づけたり、楽しませたりしている人もいる。かつての「旅」は個人的な経験だったけど、その経験をみんなで共有し、新たな価値を紡ぎ出されてるよね。

ICT、ネットによって旅先を日常から切り離しにくくなった。他方、だれかさんの旅の経験がいろんな形でたくさんの人に影響を与えることも可能になった。いい、わるい、は別にして、変わったよね。


でも、今一度、ネットがなかった時代のような一人旅をしてみたいとも思う。昔を懐かしむとは、私も年を取ったものだとは思いますけどね。

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